ネコに狂へば!

Think About

下北沢の駅を出て、商店街を
ダラダラと下りきり、
元は雑貨屋だった店を右に折れた所、
一筋目の角でふと足が止まった。
薄暗闇の路地の奥に何やら
動くものを見つけた

近づいていくと、白く丸々と太り
大きな腹をデンと上に向け、
ふんぞりかえっている
異形の三毛ネコと目があった
ついでに、取り巻きのように周りを囲む
若い雄ネコ達の視線が鬱陶しい

マリアとの出会いである

一瞬で決めた
こいつなら間違いない

かれこれ半世紀以上、
動物嫌いの家人のおかげで
犬猫鳥なしのひとり暮らしである
時間に余裕が出来た頃には早手遅れ、
せっかく飼った猫よりも
自分の寿命の方が早いようでは
猫には誠に申し訳ないから

直ぐにマリアの前にどかっと座りこんで、
ウチに来ないかと直談判に及んだわけである
仰天した若い雄ネコたちが
散り散りにいなくなったおかげで、
マリアと2人きりでゆっくり話すことができた

かくして人形町での
マリアとの生活がスタートする

マリアはよく自分の生い立ちや
昔話をしてくれるが
これがまた痛快で実に面白い

Think About

生まれはイギリスのリバプールで、
歳は12歳、昔はすらりと細くて
やたらにモテたものだよと、
人間の女のような言い草である
若いオス達から追っかけまわされるのが
うっとうしくて、
時々餌をくれる親切な船乗りに
ある日誘われ、
一緒に船に乗り横浜に上陸したとか

Think About

横浜から下北沢までは半年近くかけて、
自由気ままな放浪の旅
気がつくと下北沢で若いオス達に
かしづかれ、カレらが毎日
運んでくる山のような餌のおかげで、
1年が経つと、身動きができない位の
肥満三毛ネコと化した訳である

マリアが家に来て2日目には
気づいたのだが、どうやらマリアには、
周りの空気をほんわかさせる
気 のようなものが備わっているようである、

瞳は肥満と長いまつげのおかげで
よく見えないけれど、彼女の
視線に出会うときはいつも、
なんとも言えず気分があったかくなってしまう

ひょっとすると、このパワーは
彼女が先祖から受け継ぐ
資質であるのかもしれない

と言うのは

マリアの七代前の先祖は
イギリスのデトフォードの路地裏を
根城にしていたらしい
夕方になると毎日二人前の
フィッシュアンドチップスを持った
痩せた背の高い1人の男が現れ、
仲良く並んで食べるのがとても楽しみだった
ペロリとたいらげた後、
男の10本の指をなめ回して、
かすかに残る魚の匂いまで貪ったらしい
後で分かったことだが、
その男の名はマーク・ノップラー
この楽しい魚の宴は1977年に彼が
ダイアストレイツを結成するまで続いた

Think About

かくして、人類が創り上げた
最も神秘的なロックサウンド、
サルタンズオブスイングの誕生である
幻想的で哀愁を帯び、神気をも感じる
ノップラーのピックを使わない指技は、
来る日も来る日もマリアのご先祖様が
情念を込めてマークの指を
舐め上げた賜物である

マーク・ノップラーの時のように、
自分の人生にも劇的な変化が
起きないものかと、
マリアに期待する心のさもしさを
意識したことがある

しかしマリアと暮らし始めて
そろそろ1年になるが、今のところ
自分の身の回りには、
マリアの霊力によると思うわれるような
変化は何も起きていない・・・・

このごろ少しマリアは無口なってきた、
耳もよく聞こえないようなので、
ヘッドフォンを付けてあげて、
いろんな音楽を一緒に楽しむことにした
サルタンズオブスイングを聴かせる時は
いつも窓辺に近づいていき、
黙って下界の人形町の街並みを
見つめている

夜半にふと目が覚めた
春の終りにしてはゾクゾクするほど寒い
カーテンの隙間が煌々と明るい
「明日の夜は満月だね」
昨晩の飲み仲間の言葉を思い出して、
深夜の月見でもとベランダに
出てみることにした

Think About

1歩踏み出した裸足の足に、
小石と砂のひんやりした感触が伝わった
目の前に満月に照らされた細く
白い小路が続いていて、
ゆるくカーブしながら
黒々とした前方の森に消えている
両側は濡れたように緑に
光る草むらが広がっている
頬に冷たい風を感じるが、
不思議なことに草はソヨリとも
なびいていない

ふと気配を感じて前方を見ると、
小路の真ん中にそいつがいた
白い前足をまっすぐ揃え、
すっくとして身動きもせず
真っ直ぐにこちらを見ていた
しばらくして、ゆったりとした様子で
歩いてきて、
白と黒トラの毛並みが見えるところまで
近づくと立ち止まり、
今度はピタリと視線を合わせてきた

Think About

何とも言えない視線である
そいつの瞳の奥の奥の過去から出て、
現在の自分の目を通り抜け
背後の未来まで続く、
時空を超えるような視線とでも言おうか、
緊張も無く、鋭さもなく、威圧もせず、
かといって穏やかさとも違う視線
しばらくするとみぞおちの辺りが
ジンワリとあったかくなり、
おそらく数十年ぶりだと思うが、
懐かしい思いが込み上げてきた

この懐かしさは小路と草むら全体を
支配している

翌日はマリアと一緒にD.Whiteの
all the story is historyを聴いた
マリアにとっては新しい曲のはずだ
心なしかマリアも少し
ウキウキした様子である
しばらくしてジンワリと
みぞおちが疼き始めた頃、
突然腑に落ちたことがある

Think About

そうか、この1年の穏やかな時間の
積み重ねこそが、
マリアが与えてくれた
最高の贈り物だったと

text by トトロ7
photo by yuu kamimaki