「おーぃ、遅いじゃないか
何時になったらこっちに来るんだよ」
向こう岸が霞んで見えない
広い川の畔に来た時に、
確かに声が聞こえたような気がした。
声の主はどうやら
6代目三遊亭圓生のようだが、
もしそうだとしたら、
この川は三途の川なのか!
そんなはずはない、
医者にはこの前「5年生存率が
これで80%になりました。」
と言われたばかりじゃないか。
待て待て!これは夢に違いない、
急いで体を無理やりにでも動かして
目をさまさなきゃならない。
久しぶりに寝る前に
師匠の 三十石船 を聞いて
大笑いしたから、
これは
夢のはずだ!、急げ!!。
初めてこの落語を聞いたのは、
余命半年から1年と
宣告されたガンを患い、
5カ月間入退院を繰り返した時だった。
「なぜもっと早い時期に
病院に来なかったんですか」
と、気の毒そうな顔で言う
医者の話を聞いても、
その時はなぜかリアリティーがなく
人事のような気分だった。
長い入院生活の中で
唯一の気晴らしは、
YouTubeで聴く音楽と落語だった。
今でも時々聞き返すのが、
6代目圓生の三十石舟という訳である。
三十石舟は徳川の江戸時代から
明治時代蒸気外輪船が就航するまで、
京都の伏見から淀川を通って
大阪まで上下する定期船便だった。
全長約17メートル、全幅約2.5メートル、
乗客28人から30人、
櫓の漕ぎ手4人から6人で、
片道44.8キロを最盛期には
上下数百便、1日の利用客数千人。
今の新幹線並みの輸送量で、
当時の最大の物流大動脈だった。
三十石舟は「夢の通い路」と言う
実に長閑なサブタイトルがついている。
江戸から来て京見物を終え、
夕方に伏見から乗船し、
翌早朝の大阪に向かうドタバタ
江戸っ子2人組の夜行舟中噺である。
船頭が歌う舟歌は
6代目圓生の真骨頂だと思う。
聞いているだけで江戸時代に
タイムスリップし、
舟の上に寝転がって
旅人と一緒に夕焼け空を
見上げているような気分になる。
気分が透明になり、
夢現の世界に入っていく。
旅人同士が退屈しのぎに行う
「なぞかけ」が
この落語の
「粋と笑」のクライマックスか。
「いろはにほへと」の「に」の字とかけて
舟でする月見と解く
その心は
帆の上にある
その「ほ」の字をもらって
ふんどしの結び目と解く
その心は
屁の上にある
「いろはにほへと」とかけて
花盛りと解く
その心は
散りぬる前
「や・け・こえて」とかけて
お前さんと向こうに居る
青白い顔の男と解く
その心は
間抜けに腑抜け
晴れ晴れと爽快な気分になったり
眠気を催したり
なるほどそうかと感心したり
ケラケラ笑ったり
本来は鬱陶しい入院生活を大過なく
むしろ楽しく過ごすことができたのは、
まさに6代目三遊亭圓生の
おかげだと思っている。
何年か先に三途の川を渡った暁には、
真っ先に圓生師匠のもとに
お礼に馳せ参じるつもりである。
こっちに来るのが遅れたのは、
師匠の噺があまりに面白いので、
病気の方も可笑しくなってしまったらしい。
いや、この程度だと
師匠は満足しないだろう。
逆に尻でも蹴飛ばされて
三途の川に逆戻りだ。
「トンネルを抜けて漸く
辿り着いんだけれど、
三途の川の船頭が皆逃げてしまい、
何年も船が運休してたもんで。」
「どうやら19の鬼姫が大暴れ
したらしくて。」
これも無理だな。
残された時間の中で、
師匠が腹の底でニヤリと笑う
言い草を考えなくては。
totoro7
photo by yuu kamimaki